ふもと企画的日常

森羅万象、世迷い事、日々思うことを書き連ねていきます。

6月の光と風と。

金曜日、早朝からの健康診断も終わり

13時からの大阪での打ち合わせに、間に合うようあたふたと、東京を出る。

大阪での打ち合わせが終わり、神戸での

打ち合わせへ。その打ち合わせも順調に終わり

ほぼ定時に家路につく。

 

自宅で、妻と二人でゆっくり食事をとり

少し疲れていたので、早めに就寝した。

 

それは突然だった。

 

隣で寝ていた妻の携帯が23時頃

鳴り出した。

発信元は、熊野市に住む私の母から。

 

その瞬間、全てを理解した。

 

父が死んだ。

 

7年ほど前から認知症が進行し、

3年ほど前から施設に入所していたのだが

夜中、吐瀉物か何かを喉に詰まらせ死んだ。

見つけられた時はすでに心肺停止状態だった。

 

電話を受け、しばし呆然。

悲しみの前にまず月曜日からの

仕事の段取りや何かが頭の中を駆け巡る。

 

悲しみはさほどなかった。

もう何年も前から意思疎通が

出来ない状態だったし、いずれ近い将来、

親子らしい会話も出来ないままこういう日を

迎えることは、予想がついていた。

 

しかし、それでも。

様々な、想いが

ゆっくりと、しかし、あちらこちらから

湧き上がってきた。

 

あたりが明るくなるまで

リビングの床に座って呆然としていた。

 

東京の部屋に喪服も置いていた。

兄弟間の事前の連絡で、

長男の私が喪主がやることが

決まっていたので、喪服無しではまずい。

 

「はるやま」であたふたと喪服を購入し

妻と二人で、熊野市に向かう。息子は大学の

授業とサークルの会合のため、1日遅れて

電車で来ることになった。

 

その日は発達した低気圧の影響で

強風と大雨が、予想されていた。

いつもの169号線経由の山越えルートは

通らず新名神経由の高速ルートで帰る。

 

亀山を過ぎたあたりから、かなりの雨と

風になり、なかなか難易度が高い運転と

なった。

何とか尾鷲を過ぎたあたりから

雨も小降りとなり、少しホッとする。

 

無事、熊野市の自宅到着。

 

久しぶりに揃った兄弟、母が出迎えてくれる。

父の遺体は、一階の仏間兼和室に

寝かされていた。

顔をみたが、安らかな寝顔だった。

何ともいえない感情が、こみ上げてくる。

悲しくはない、涙も出ない。

呆然とするというのが正確か。

昨日から呆然としてばかりだ。

 

ただ、そうもばかりしてられない。

喪主というのは、やること、決めること

小規模な家族葬とはいえ結構ある。

 

その日の夜には、義父母が

丹波篠山から駆けつけてくれた。

有難い。

 

その日は前日あまり寝てないのと

運転疲れで、夜早くに寝てしまった。

 

翌日は通夜、その翌日は出棺、火葬のあと

告別式。

 

田舎のことゆえ、家族葬とはいえ、

結構弔問客がひっきりなしに訪れる。

その応対をしている間に、すぐに通夜の

時間となる。

新宮市にある、家の菩提寺日蓮宗

お坊さんが来てくれて、お経をあげてくれる。

まだ若いが中々堂々とした、いい声をしている。

今まで、お経なんてあまり真剣に聞いたことは

なかったが、心身に染み渡るような気がした。

 

すでに、魂となった父を行くべきところに

導いてほしいと切に願う。

 

通夜の後は喪主は寝ずに、灯明の番をする

ことになっているが、さすがにそれは無理。

深夜3時に起きて、母と弟と二交代制で

灯明の番をする。

 

やがて夜が明け、出棺の時間。

父の肉体との最後のお別れ。

棺に皆で花を入れていく。

妹と母は声を上げて泣いている。

私も頬を涙が伝う。

ご近所の方々も来てくれて父の顔を見て

名前を呼んで、泣いてくれた。

悲しいが本当に有難い。

 

やがて棺は閉じられ、納棺のお経の後

火葬場に向かう。

 

前々日の雨が、嘘のようないい天気。

最後に父の顔を見て、別れを告げる。

 

控え室で、お茶を飲んでいると

焼き場から煙が立ち上っていく。

空に帰るという言葉が実感としてわかる。

 

やがて火葬も終わり、皆で骨を拾う。

意外としっかり骨が残っている。

 

家に戻って、告別式。

最後にお坊さんがこう言った。

「葬儀というのは死者を葬い、生きている人は

命というものを考える機会でもあるのです」

 

そのとおりだと思う。

 

翌日は、早朝から飼っている犬の、散歩に

でる。

6月の早朝。朝露に濡れて緑はその輝きを

増し、風は頬にやさしい。

一年のうちでこの季節が一番生命の気があたりに満ち満ちているような気がする。

 

ふと以前読んだ小説の一節を思い出した。

 

「ねえ、つくる、あの子は本当にいろんなところに生き続けているのよ」とエリがテーブルの向かいから絞り出すように言った。「私にはそれが感じられる。私たちのまわりのありとあらゆる響きの中に、光の中に、形の中に、そしてあらゆる・・・・」

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』より引用

 

長らく認知症で苦しんだ父は、その肉体をはなれ、このやさしい6月の光と風の中で

今、自由なのだ。

 

そう感じた。

 

空は梅雨を忘れたかのように

限りなく青く深い。